鎌倉街道上道歩き旅その4(武蔵嵐山〜西大家)
2013年6月13日、鎌倉街道歩き旅4日目。本日の工程は武蔵嵐山から埼玉県坂戸市にある東武越生(おごせ)線西大家駅まで約16km。
武蔵嵐山駅からスタート。
嵐山駅の近くの和菓子屋・岡松屋さんで非常食を購入。いつ昼食にありつけるかわからないのでこういうの結構大事。
岡松屋さんの近くのT字路を右折。ここから南へ向かいます。
都幾川(ときがわ)越え
源義賢(みなもとのよしかた)のお墓がこのあたりにあります。義賢はあまり聞かない名前ですね。ちょっとわかりにくいので家系図を作ってみました。
義賢の父親は為義、兄は義朝です。義朝の命令で甥っ子の義平に大蔵館にいるところを襲撃され命を落としてしまいます。大蔵館跡もお墓の近くにあります。
身内の争いが激しすぎてコワイわ。崇徳天皇側についた為義と息子たち(3男〜8男)、後白河天皇側についた義朝(&平清盛)が争った保元の乱では後白河天皇側が勝利。為義と兄弟オール処刑される。
保元の乱で勝利側にいた義朝も平治の乱で平清盛に敗れて、敗走中に家人に裏切られ殺害。義平、朝長もこの乱で殺害された。範頼と義経は兄の頼朝にやられ、頼朝の子・頼家と孫の一幡は北条氏にやられる。頼朝は落馬した後で亡くなったみたいだけど、真実はいかに……
向徳寺前を通過。
旧鎌倉街道の碑
大行院神明殿。新興宗教なのかな、変わった造りでした。当時(2013年)は、自由に敷地内に入ることができましたが、いまgooglemapを見ると、関係者以外立ち入り禁止って書いてますね。現在は紹介状がないとダメみたい。
縁切橋。征夷大将軍の坂上田村麻呂が悪龍退治のためにこの地に滞在していた時、田村麻呂の奥方が心配で京都からこの地までやってきた。
「任務を受けてこの地にやってきてるんだ!何しに来た!もう縁を切ってやる!帰れ帰れ!」といって追い返した場所がこの縁切り橋だそうです。
悪龍って、、、蝦夷(えみし)の暗喩かな。よくわからんです。
大行院神明殿を過ぎたあたりから笛吹峠への道が始まってます。
駅前で買った和菓子で一服。
史跡最中は畠山重忠の家紋がモチーフみたいです。五三桐ですな。
笛吹峠は武蔵野合戦の激戦地だったようで、今ではけっこう有名な心霊スポットだとか。
確かにちょっとやばい空気感が漂ってるかも。丑三つ時に来るときは、お気をつけて……
峠を越えてしばらく進むと特産物の販売所と食堂が併設されている「鳩豆工房旬の花」があったのではいってみました。
鳩山町は大豆が有名らしいです。その大豆で作った醤油、豆腐、納豆推しです。
特産品とまったく関係ないところてんを食べましたw。
あと、ソフトクリームも注文したんですが、「自分でつくってみるかい?」と言われ、別に作りたくもなかったんだけど自分で作って食べました。新しい接客の世界。別に嫌じゃない。
近くに寄った際にはぜひ訪れてみてください。田舎のばあちゃん家みたいでほのぼのできます。
県道343号線を外れ内側の道を歩くと、ぽつんと1件牧場がありました。こんなところでお馬ちゃんと遭遇できるとはいと嬉し。
メジロとユズと流鏑馬が描かれた毛呂山(もろやま)町のマンホール。なかなかいいデザイン。
毛呂山町は旧鎌倉街道の面影が残る数少ない場所。舗装されていない道がけっこうあっていい感じです。
一方通行の森戸橋を渡ると今日のゴールまであと少し。
無事、西大家駅に到着。本日のノルマ達成でございます。
次回は西大家から新所沢まで歩きますよ。
この日の昼食と夕食、何を食べたかずっと考えたんだけど、まったく思い出せない。ギブアップ。